あらためてお盆について考えよう

 お盆ってなに?

お墓参りされましたか?

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お盆は、最もメジャーな仏教行事。

その由来には諸説ありますが、日本古来の祖霊信仰に中国から伝来した『盂蘭盆経』の教えが加味されたのがお盆だと言われています。

盂蘭盆とは「ウラボン」、「ウランバナ」の音写、「倒懸」(逆さ吊り)を意味し、『盂蘭盆経』は倒懸の苦しみから救われることを説いたもの。

または、盂蘭盆の語源はイラン語の「ウルヴァン」、「死者の霊魂」を意味している、とも言われます。

『盂蘭盆経』とは?

『盂蘭盆経』の大まかな内容は以下の通りです。

「お釈迦さまの弟子・目連は、亡き母が餓鬼道に堕ちて苦しんでいる姿を見ました。

飲食することができず、身体は皮と骨ばかり。

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餓鬼草紙の一場面

目連は母に食事を届けようとしますが、母が食べようとすると炭になってしまいます。

お釈迦さまは目連におっしゃいました。

「あなたの母は罪深い。

しかし、多くの僧の助力によって母を救うことができるでしょう。

7月15日、多くの僧が一か所に集まって学行に励んでいる。

そこで、さまざまなお供えをして供養するならば、父母・六親眷属は救われるでしょう」

そうして、目連の母は餓鬼の苦しみから脱することができました。

「親に孝行をしようと思うものは、常に現在、七世の父母を想いなさい。

また7月15日には、慈しみの心を持って父母を想い、盂蘭盆を行って仏・僧に施し、父母が長く養育してくれた恩に報いなさい」」

ただ、『盂蘭盆経』は中国で作られた偽経(お釈迦さまの説いた教えではない)であるとも言われます。

お盆は地域、宗旨によって違う

しかし、日本では長くお盆を大切な仏事として伝えてきました。

旧暦のまま7月に行う地域と、新暦にとって8月に行う地域があります。

お盆の迎え方は地方によって多種多様です。

お盆には、ご先祖があの世から帰って来ると説く宗旨もあります。

その場合、帰ってくる場所の目印として灯籠をあげます。

ナスやきゅうりに箸を刺して、生き帰りの乗り物としての牛馬をかたどることもあります。

しかし、浄土真宗はそのようには受け取ることはありませんので、特別なことはしません。

故人は阿弥陀さまのはたらきによって浄土に往生され、常に私とともにあるといただく真宗門徒は、『盂蘭盆経』をどのように受け止めるべきでしょうか。

『盂蘭盆経』から何を学ぶのか?

父母は子を育てるために罪を犯すと言われます。

可愛い我が子のためには他を顧みないからです。

だから餓鬼道に堕ちる恐れがあるのです。

そこまでして大切に育てられた私であったということに気付かされます。

それは、私もそのような罪を犯す親に、人になっていないかという自省を促します。

次に、母を救いたくとも一人では何もできなかった。

多くの人のおかげで救われたということ。

ものごとはすべて一人の力では成り立たない、多くのはたらきによって支えられていることに気付かされます。

親鸞聖人は父母のために念仏を称えなかった?

『歎異抄』に、親鸞聖人のことばとして

「 親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏申したること、いまだ候わず。そのゆえは、一切の有情はみなもつて世々生々の父母・兄弟なり。いづれもいづれも、この順次生に仏になりてたすけ候ふべきなり」 とあります。

父母のために念仏をしたことはない。すべての人々はみな父母兄弟である。仏になってのち、すべての人々を助けるべきである。

これは、父母の恩を軽んじているわけではありません。父母のみに感謝するのは誤っている。すべてのいのちはつながり、お互いを成り立たせている。だから、すべてのいのちを父母兄弟として受け取り、助けるべきであると言うのです。

浄土真宗では、お念仏に出遇った方はみな浄土に生まれ仏さまになられたと受け取ります。先に人生を終えた方は、わたしを導くべくはたらいてくださっている仏さまです。

お盆にあたって、父母の恩を通して、わが身を振り返りつつ、すべてのいのちへ感謝したいものです。

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