お坊さんの衣は黒
今年の夏は暑い日が続きましたね。
9月に入り、ようやく暑さも和らぎました。
浄土真宗のお坊さんは普段、黒い衣を着ています。
夏用は少々透けているので、時々「院主さん、涼しそうですね」と言われるのですが‥
半襦袢、白衣、道服(黒い衣)と最低でも3枚着ていますから、かなり暑い。
お坊さんの普段の衣ってだいたい黒ですよね。
お釈迦さまは赤褐色の衣
仏教を開かれたのは、もちろんお釈迦さま。
お釈迦さまは、ボロボロの布をつなぎ合わせた大きな四角の布をぐるぐると体に巻きつけていたそうです。
その色は、赤褐色。
中国では「糞掃衣(ふんぞうえ)」と漢訳されました。
インドの仏蹟を訪れた時に見たお坊さんは、お釈迦さまと変わらない格好でした。
現在でも、タイやスリランカのお坊さんは忠実に守っておられます。
では、なぜ日本の仏教徒、お坊さんはお釈迦さまと同じ格好をしていないのでしょうか。
それは、寒いから、というのが一番の理由でしょう。
日本では、これくらいの布を体に巻いたのでは冬を乗り越えられません。
また、仏教が中国・朝鮮半島を経て日本に入ったということも影響しているのでしょう。
現在の日本仏教の衣の形態も、その雰囲気が強く感じられます。
浄土真宗はなぜ普段黒い衣を?
さて、黒い衣というと、喪服のイメージでしょうか。
お坊さんは葬儀を出すから黒い衣を着ているのでしょうか。
浄土真宗の開祖は親鸞聖人。
その肖像画が何種類か残っているのですが、このような姿です。
黒(墨)の衣に黒い袈裟(墨袈裟と呼んでいます)。
日本では当初、鎮護国家のために仏教を受け入れました。
そのため国が僧侶を管理し、法衣の色によって位を分けたと言われます。
親鸞聖人はある時、国家権力によって俗名に改名させられ、流罪にされました。
その後、自らを「非僧非俗」とおっしゃられました。
非僧。国家のために仕える僧ではない。
さりとて煩悩を離れてさとることもできない。
しかし、世俗に染まらない。非俗。
「いし、かわら、つぶてのごとくなるわれら」である市井の人々とともに仏法に生きる念仏者である、との宣言。
当時、墨色は最も下位の色だったそうです。
私たちは、親鸞聖人の姿に倣って黒(墨)の衣を着ているのです。
黒色が法衣に用いられるようになったのも、中国からのようです。
喪服は昔、白色だった!?
喪服の歴史を調べてみると、その変遷は多岐にわたります。
『日本書紀』などの古代文献によると、喪服は白。
奈良時代には、喪服は粗末なものを用いるとして、庶民の衣服材料である麻布や藤布で作られたため「ふじごろも」と呼ばれたそうです。
平安時代には鈍色(濃い灰色)、墨染の衣となり、これは出家の色ともなりました。
江戸時代の武家は、男は麻裃、女は白無垢であったと言われています。
そういえば、時代劇の切腹シーンは白装束ですね。
一般には、明治末頃までは男性が白の長着に水色の裃など、女性は白羽二重の無垢などだったそうです。
北陸地方には、夫が死んだら妻は白無垢を着るという風習が近代まで伝えられていたそうです。
このように日本では、喪服は黒、の期間はけっこう短いのです。
現在の喪服が黒という考えは、明治に入って欧米諸国の影響が強まってからです。
欧米と同じにしたい、しなければならないと考えたのでしょう。
ちなみに、浄土真宗のお坊さんは現在でも葬儀の喪主を務める場合、鈍色(薄墨)の衣を着ます。
なぜ葬儀で派手な衣を?
浄土真宗の葬儀に参列したことはありますか?
「悲しみの場なのに派手だな」と思う方もおられるでしょう。
日本では国家が色によって位を分けましたから、その頃から様々な色の衣がありました。
先ほど述べたように、親鸞聖人は黒(墨)のみを使用しました。
しかし、浄土真宗でも次第に色衣を着けるようになりました。
また、煌びやかな七条袈裟も着用します。
葬儀は、故人が浄土に往生したことを表す意味も含みます。
ですから、浄土の美しさを表す荘厳の一つとして、様々な色を用いるという考えも成り立ちます。
浄土真宗では、色によって位の上下があるというわけではありません。
しかし、色で何かしら区別しているという面は否めませんから、あまり良いことではないかもしれません。
親鸞聖人に立ち返って、すべて黒(墨)にしようという考えもあります。
衣の色、とても興味深く、また難しいものです。
コメントを残す