新年明けましておめでとうございます。
「今」ということ
仏教の一説に、すべての存在は「刹那」(刹那の長さについては諸説あるが、指をひとはじきする間に六十五刹那あるとか、一刹那は75分の1秒であるなどと言われている)の間に生成消滅を繰り返すものであるという考え方があります。
今消滅したもの(A)を因として、また相続しつつ次の刹那に新たなもの(A’)の存在が生じるというのです。
刹那的な考え方は悪い?
刹那というと、「刹那的な生き方」などと否定的に捉えられることが多いかもしれません。
「過去や将来を考えず、ただこの瞬間を充実すれば良い」という生き方だとすれば良くないことでしょう。
しかし、刹那という考えを生み出した仏教の意味に戻って考えれば、「一瞬一瞬を大切にする、その時を本当に充実して生きる」素晴らしい生き方と言えるでしょう。
「今(刹那)だけよければ過去や将来はどうでもよい」という否定的な態度ではなく、「今(刹那)がよくなければ過去も将来もよくならない」という積極的な態度です。
今、我慢して頑張る?
よく大人は子供に向かって、「将来のために今は我慢して頑張りなさい」というようなことを言います。
しかし、いくら将来のためとはいえ、今我慢しなければならないのは辛いことです。
意味はほぼ同じですが、「将来のために苦しいかもしれないけれども今を一生懸命生きることが大切なんだ」と言い換えれば、積極的に受け取ることができるかもしれません。
勉強するということは苦しい(今)かもしれませんが、目的(将来)さえはっきりしていれば、それは我慢ではなく、満足に繋がるはずです。
浄土真宗は今は役に立たない?
「浄土真宗は死んだ後に極楽浄土に往生する教えでしょう、今は関係ない、役に立たない」とおっしゃる方がおられます。本当にそうでしょうか。
確かに浄土に往生するのは未来ですが、それによって今、救われるのです。
煩悩によって苦悩させられることのない、すべてのいのちが光り輝く「倶会一処」(ともに一つのところで会う)浄土に生まれる。
先に往生された方々とお会いすることができるということが、人生を精一杯生きるということに力を与えるのでしょう。
また、今、救われるからこそ、未来も救われるとも言えます。
今、浄土往生間違いなしと聞くことができてこそ未来に浄土で仏となるといただけます。
そして、今、救われるからこそ、過去も救われるのです。
今が有難いということは後になってみないと気付かないことが多いものです。失敗したと思うこと、やり直したいと思うことがいくつもあるでしょう。
しかし、「ドラえもん」のようにタイムマシンで過去に戻ってやり直すことはできません。
「過去は変えられない。しかし、意味を変えることはできる」と教えられました。
過去を振り返ってそれを今に生かしていくことによって、意味あるものにしていくことはできます。
今救われたならば、今までのことはすべて有意義であったと受け取ることができるのです。
浄土真宗は今を大切にする教え
今、私は、阿弥陀仏から浄土に生まれよと願われ、間違いなく救うと誓われている。
それを「有難い」と喜び、「このような私を」と慚愧しつつ、「帰っていく世界がある」と安心して精一杯生きていくことを先人は「救われた」と表現してきたのでしょう。
浄土真宗は「今」の教えなのです。
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