「わかる」ということ

飛行機がなぜ飛ぶかわかっていますか?

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「飛行機が飛べるのは、翼が揚力を持っているからです。

そして翼が揚力を持つのは、翼回りに空気の循環があるからです。

循環ができるためには、翼周りの流れがクッタの条件を満たすことが必要になります。

流れがクッタの条件を満たすと、適切な迎え角を与えることで翼の回りに循環が発生します。

循環によって、翼の上の方が流速が速くなり、これが翼の上下に圧力差を生む。

翼の上の方が圧力が低いので、上に引き上げられる力が発生する。

ベルヌーイの定理です。これが揚力です」(航空力学・松田卓也氏)

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説明を聞いても正直よくわかりません。

私にわかるのは飛行機が空を飛んでいるという事実だけ。

飛ぶ原理はわからないままに、安心して飛行機に乗っているのです。

私たちの「わかる」はこのようなものでしょう。

わからないことがわからないと‥

小さな子供は何か見つけては「どうして、どうして」と聞いてきます。

それは、見るもの聞くものが新鮮で疑問がわくから。

そして、わからないことを尋ねることにためらいがないからでしょう。

大人になるとなかなかわからないと言えなくなるということがあるのではないでしょうか.。

わからないことをわかったことにしてしまう。

しかし、わからないことがわからないと大変です。

目的地に行くのに、現在地がわからないと道が分からないのです。

カーナビも現在地が測定できてこそ、目的地へのルートを表示してくれるのです。

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スーダラ節「わかっちゃいるけど…」

植木等さんの歌ったコメディソング「スーダラ節」。

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「わかっちゃいるけどやめられねぇ ア ホレ スイスイ スーダララッタ スラスラ スイスイスイ」。

真面目な植木さんは当初、歌うのをためらったといいます。

その彼に、浄土真宗の僧侶である父親がこうおっしゃられたそうです。

「この歌詞は我が浄土真宗の宗祖、親鸞聖人の教えそのものだ。

親鸞さまは九十歳まで生きられて、あれをやっちゃいけない、これをやっちゃいけない、そういうことを最後までみんなやっちゃった。

人類が生きている限り、このわかっちゃいるけどやめられないという生活はなくならない。

これこそ親鸞聖人の教えなのだ。そういうものを人類の真理というんだ。上出来だ。がんばってこい」と。

「わかる」には二通り

煩悩に振り回されて苦しんでいることが、わかっちゃいるけどやめられない。

しかし、この「わかっちゃいるけど」が大事なのです。

「わかる」には頭でと、身をもってという二通りがあると思います。

私たちは、頭でわかっていてもその通りに生きていく、全身で体現することはなかなかできません。

身をもってわかるというのが、いわばお釈迦さまの覚りでしょう。

浄土真宗は「わかっちゃいるけどやめられない」私のための教えです。

わからないけれどわかる不思議

浄土真宗は「南無阿弥陀仏」お念仏の教え。

「南無」は帰依する、まかせる、感謝するという意味。

「阿」は否定、「弥陀」は量るという意味、「はかりしれない」仏さま。

私たちははかりしれないはたらきを身に受けてここに存在し、浄土へ生まれゆく。

親鸞聖人は「たとえ法然聖人にだまされて、念仏して地獄に堕ちても、後悔いたしません」(『歎異抄』)とおっしゃいました。

法然上人の生き様を見るにつけ、この教えは間違いないと思われたのでしょう。

浄土真宗の先人は、親鸞聖人がお念仏を喜び、お浄土に往生されたという事実を聞き信じ、「南無阿弥陀仏」の人生を歩まれました。

飛行機が飛ぶ理由は分からなくても、飛ぶという事実を信じるのと似ている気がします。

私たちには、阿弥陀仏やお浄土というものをはっきりとわかることはできないかもしれません。

しかし、わからないけれどわかる、感じることができるはたらきがあります。

それがわかれば、わからないままにおまかせし、感謝して生きていく道が開けてくるのでしょう。

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