東日本大震災の被災地を訪れる
被災地支援を考えるため、岩手県の大船渡市、陸前高田市を訪れました。

陸前高田の奇跡の一本松
震災、津波の直接被害が最も大きかった宮城。
原発事故により多くの方が困難な生活を余儀なくされている福島。
もしかしたら岩手はあまり関心が払われていないかもしれません。
あれから6年経過したため、私自身も震災直後に抱いた被災地への思いは薄れていました。
想像を超えた被害と現状
現地を訪れて驚いたのは、まず被災した地域が広いこと。
陸前高田でも街のすべてが流され、その広さは私の想像をはるかに超えていました。
もちろん大船渡でも。

左上部の赤い線まで津波が

4階以下に生々しい津波のあと
テレビで見たあの衝撃的な被害、それが1ヶ所、2ヶ所ではなく広範囲にわたっているのです。
そして、復興がまだまだ進んでいないこと。
最近メディアであまり取り上げられないこともあり、復興はかなり進んでいると思っていました。
陸前高田では、何も無くなったかつての街に10メートル以上の土盛りをしている最中。

広大な土地に盛り土を

盛り土の上の工事風景
また2キロにわたる堤防は完成している模様、これも10メートル以上の高さ。

近くで見ると威圧感のある堤防
異様な風景に、このような街作りが本当に地域住民にとって良いのかとも考えさせられました。
家ごと波に飲み込まれた方のお話は胸に刺さるものがありました。
そして胸に刻まなければならない彼の言葉。
忘れないでください。それが被災者の一番の願いです
4年前、まんのう町で東日本大震災支援の講演会を開催し、宮城から被災者をお招きして話を聞かせていただきました。
今回はじめて現地を訪れて、その時に感じたものとは比べ物にならない震災の怖さと被災者の悲しみを実感しました。
あれから6年、現在も被災者にとっては震災後ではなく、震災の真っただ中なのではないでしょうか。
また、昨年、女川原発を訪れた方が「原発は安全でクリーンなエネルギーです」と職員から説明されたといいます。
同じ原発でも、事故を起こした場所と起こしていない場所でこうも違うのかと愕然としたそうです。
お寺や僧侶にも役割がある
現地の僧侶からお寺ができることについても聞かせていただきました。
避難所になる、人の話し相手になることなど、さまざまな役割を担えるということ。
誰にも見送られず火葬され、身元が判明してお骨が帰ってくるのは本当に悲しい。
僧侶が読経し見送ることによって、少しなりとも心が安まる。
毎年3月11日午後2時46分に、あの震災を忘れないようお寺の鐘を鳴らすだけでも被災者の力になる、とも教えていただきました。

東日本大震災以後も熊本地震、鳥取地震など多くの震災が起こっています。
香川県もいつ何か起こるか分かりません。
被災地支援としてできること、香川県での有事の際にできること。
小さくても何かできることを、と思いを強くしたことです。
忘れてはいけないこと
最後に心を打たれたこの文を。
「あの日から6年
7回忌となる「3.11」が来る。
辛い記憶の中には
「忘れたいこと」がある。
「忘れられないこと」がある。
忘れることで日常を取り戻すことができる。
しかし「忘れてはいけないこと」がある。
あの日
揺れる大地の上で
すべてを飲み込む津波を目前に
迫りくる見えない放射能に怯えながら
被災地から遠く離れたテレビの前で
あの日それぞれの場所で
あなたが守ろうとしたものは何だったのか。
抱きしめたいと思ったのは誰だったか。
そのことだけはけっして忘れてはいけない。
それが震災を忘れないということだから。」
(真宗大谷派東北別院パンフレットより)
南無阿弥陀仏
コメントを残す