不登校は不幸じゃない!
2018年8月19日に開催された「不登校は不幸じゃない」。
小幡和輝さんが発起人となり全国一斉100カ所開催。
一心寺は香川県会場となりました。
発起人の小幡和輝さん
1994年、和歌山県生まれ。約10年間の不登校を経験。
当時は1日のほとんどをゲームに費やしたそうです。
その後、定時制高校に入学。地域のために活動する同世代、社会人に影響を受け、高校3年で起業。
様々なプロジェクトを立ち上げ、地方創生の新しい仕組みを構築中。
夏休み明け、子供の自殺が多くなる。そんなバカなことがあってたまるか。
このイベント開催にあたって小幡さんは
「不登校になった先に居場所があるかどうか。それがとても大切だということ。
9月1日夏休み明け。子供の自殺が多くなる。そんなバカなことがあってたまるか。
不登校を肯定するムーブメントを作ります」
「僕の原体験は誰かの参考にはなるかもしれないが、すべての当事者に当てはまるわけではない。
一概に不登校といっても、その理由は千差万別。
誰かの人生を他の人の人生にそのまま当てはめることはできないでしょう。でも、参考にはなるはず」
と思いを綴っています。
ふとしたきっかけで、不登校だった話、それからのきっかけ、そしていまやってることを人々に語ることを始めた小幡さん。
「不登校だったことをずっと隠していた過去は、未来への可能性に繋がりました。
不登校だったことは、僕の個性になりました。その体験を他の人にも感じてもらえたら嬉しいです」。
学校の役割は2つ「学び」と「コミュニティ」
不登校だったけど今しあわせに生きている人と、不登校だったことで今ちょっと大変な人とがいる。
その二つは何が違ったのか。
小幡さんは学校の役割は2つあると言います。
それは「学ぶこと」と「友達、コミュニティを作ること」。
不登校でもその2つを代用できれば問題ない。振り返ってみれば僕にはそれがあった。
今ならネットで勉強することも、SNSなどでコミュニケーションを取ることもできる。
どこかで「学び」と「コミュニティ」ができなければ不登校はちょっと大変。
学校に行けば、それを与えてくれるから楽。
不登校は決して楽な道じゃない。自分で学ぶにはお金も手間もかかる。
だから勧めるということはしないけれども、不登校にも可能性は広がっている。
世界は広い。そういう選択肢もあるということを知ってほしい。
香川県会場主催者の思い
松本貴大さん。彼は大学時代に不登校になった経験から、少しでも役に立てばと今回主催者として名乗りをあげました。
もう一人、龍田宗孝さん。彼も不登校直前で何とか耐えたという経験を持っています。
松本さんは、学校で勉強すればするほど、できる人間しか、しあわせになれないんじゃないだろうか。
僕は、いくら勉強しても努力しても、それは明るい未来に繋がらないんじゃないか、学校なんて意味ないんじゃないか、と感じたことが不登校のきっかけだったそうです。
「つながり」「そばにいること」の大切さ
不登校に苦しむ子どもたちとどのように接したら良いのか。
「こちらから声を掛けて何か提案する。相手からの返答は否定しない。
それを受け入れてまた提案する。その繰り返しが大切」
「不登校の話題ではなく、それ以外で、相手が好きな話題を何気なく話す。
信頼できる相手と認めてもらえなければ心は開かないから、無理して核心に触れない」
「不登校になっていても、プライドがある。だから親や身近な人にはなかなか話せない。
その気持ちを大切にしつつ対応しなければならない」
「振り返ってみれば、不登校に悩んでいた時期でも、だれかとつながっていた。好きなゲームをする友達であったり。
悩みを打ち明けることができれば、孤独が解消されてもっと楽になっていただろう。
それができなくても、そういう存在がいたことによって何とか自分を保つことができたように思う」
小幡さんも言っていたキーワード「コミュニティ」、どこかと誰かとつながっているかどうかが本当に大切だと実感。
不登校の子供を持つ親の声
「学校に行くことはその子の未来の選択肢を広げるため。だから親としては何としても行かせたい」
「社会に出たらもっと大きなストレスがあるだろう。学校はそれに耐性をつける役割があると思う。
学校に耐えることができなければこの先もっと大変ではないか」
―子供にとっては、未来を考えるよりも今の苦しみが大きいのでしょう。それをどう受け止めていけば良いのでしょうか。
「不登校児の親になってみて、自分の苦しみ以上に、子供が悩んでいることが苦しい。
自身を振り返ってみて、自分の親に申し訳ないという気持ち」
―その気持ちが子供に通じるだけで解決するような気がします。それが難しいのでしょうが…
話すだけで明るくなったような
時間が経つにつれて、最初は固かった参加者の顔が明るくなっていったような気がしました。
何かが解決したわけではありません。
しかし、同じ思いを抱えている者同士で話をするだけでも心強くなったり、気が軽くなったりするのではないでしょうか。
お寺の住職ができること
このような悩みの相談に乗ることも、お寺の住職の仕事の一つでしょう。
ただ、私にはそれほどの力量はありません。
しかし、その思い抱えた人たち同士が寄り添う場を作る、また、必要に応じて専門家につなぐという役割はできます。
これからも様々なことを学びつつ、活動の幅を広げてみなさまのお役に立てるお寺になればと願います。
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