よるしらべ2016

三年目となった「よるしらべ」、今年も開催!

和蝋燭の灯りのみで堂内を照らした荘厳な雰囲気の中、長い伝統に培われた美しい声明と雅楽の音色が響き渡りました。

今年は2本立て。

「声明と雅楽のしらべ~五会念仏作法・舞楽~」

10月22日、総勢三十四名の僧侶が集結。

200名を超える参拝者が一心に耳を傾けました。

五会(ごえ)念仏作法は、中国の法照禅師(ほっしょうぜんじ)が定め、慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)が日本に伝え比叡山で勤められていたもの。

その中心である「極楽荘厳讃」は高音でテンポの良い、お経のイメージとはかけ離れたもの。

心地よい音楽と思われた方もおられるのではないでしょうか。

今年の舞楽は「抜頭」(ばとう)。髪を振り乱して舞う勇壮な姿に、嫉妬に狂った妃、猛獣に親を殺されて怒り狂う息子、どちらが本当の由来とお感じになったでしょうか。

多くの方から「毎年楽しみにしています」との声。3回目の開催ですが、すでに秋の風物詩となっています。

後光が差すような美しい荘厳

右余間から内陣を見て

内陣衆と楽人

抜頭を舞う

決めポーズ

毎回舞楽は大人気

電気がついてよく見える舞楽時の楽人

三鼓は三人

   「オール・デイ声明~六時礼讃~」

もう一つは、11月3~4日と2日間にわたって。

唐の善導大師(ぜんどうだいし)が著した『六時礼讃』(ろくじらいさん)に基づく伝統のお勤め。

後鳥羽上皇の怒りを買って法然上人、親鸞聖人が流罪となる原因になったことで有名。

一日を4時間ごと6回に分けて、昼夜を問わずただ仏を礼讃する。

当時もこのような雰囲気だったのかと感動しつつ勤めさせていただきました。

午後2時の日没よりスタート

よるしるべも始まった午後6時に初夜

一心寺住職登壇

中夜は午後10時

後夜は午前2時

晨朝は空も白み始めた午前6時

プログラム

〇雅楽(ががく)とは

仏教伝来と時を同じくしてアジア大陸から輸入された音楽や舞と日本古来の歌・舞とを融合したものであり、平安朝に国民性に合うように手を加えられ日本の雅楽として今日に受け継がれている。

平安時代に一世紀以上かけて編纂された雅楽は千数百年以上の歴史を有し、世界最古の形式音楽〔オーケストラ〕として世界に誇れる古典芸術である。

使用される楽器には、日本古来の神楽(かぐら)笛・和琴などのほかに外来の笙(しょう)・篳篥(ひちりき)・笛などの管楽器と、箏(こと)・琵琶(びわ)などの絃楽器と,鞨鼓(かっこ)・太鼓(たいこ)・鉦鼓(しょうこ)などの打楽器がある。

〇声明(しょうみょう)とは

仏教儀式において仏・菩薩や祖師へ、音曲をともない礼拝供養する宗教音楽のこと。

天平(てんぴょう)勝宝(しょうほう)六年(754)東大寺大仏開眼法要に声明を用いた記録がある。

平安時代初期に伝教大師(でんぎょうだいし)最澄(さいちょう) (766~822)・弘法大師(こうぼうだいし)空海(くうかい)(774~835)がそれぞれ伝えて、天台声明・真言声明の基となった。

その後、各宗独自の声明が形成され、現在に継承されている。

〇五会念仏(ごえねんぶつ)作法とは〔10月22日〕

唐代の僧・法照(ほっしょう)禅師(ぜんじ)が著した『五会念仏略法事讃(ごえねんぶつりゃくほうじさん)』に基づく。

念仏を五段階に分けて唱えるため五会念仏といい、大歴五年(770)に山西省五台山に竹林寺を建立して広めたとされる。

第三代天台座主・慈覚(じかく)大師円仁(えんにん)(794~864)によって唐より日本に伝えられ、比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)東塔の常行三昧堂において勤められた。

親鸞(しんらん)聖人(1173~1262)も比叡山時代に親しんでいたことは想像に難くない。

天台宗では廃れてしまったが、天台声明の流れを汲む浄土真宗に今も伝わっている。

今回の次第は、伽陀(かだ)~讃請(さんしょう)文(もん)~散華(さんげ)楽(らく)文(もん)~極楽荘厳讃(ごくらくしょうごんさん)~五会(ごえ)念仏(ねんぶつ)~回向(えこう)。

〇舞楽(ぶがく) 抜頭(ばとう)とは〔10月22日〕

太食調(たいしきちょう)の唐楽の曲名、宗妃楽(そうきらく)とも。

嫉妬に狂った唐人の妃が髪を乱す姿、猛獣に親を殺された息子が怒り狂う姿を舞ったという説がある。

朱色の装束、鼻が高く髪の長い赤い面をつけて舞う。

〇六時礼讃(ろくじらいさん)とは〔11月3~4日〕

唐代の僧・善導(ぜんどう)大師(だいし)(613~681)の『往生礼讃偈(おうじょうらいさんげ)』による。

一日を四時間ごと六つの時(日没(にちもつ)・初夜(しょや)・中夜(ちゅうや)・後夜(ごや)・晨朝(じんぢょう)・日中(にっちゅう)に分けてのお勤め。

天台声明を基にした美しい旋律で、後半になるにしたがい高音の節が荘厳さを増す。

建永(けんえい)元年(1206)後鳥羽上皇が熊野神社参詣の留守中に、寵愛する側近の女性、松虫と鈴虫が御所から抜け出して念仏法会に参加した。

安楽房(あんらくぼう)と住連房(じゅうれんぼう)の六時礼讃の美声に魅了され、出家、剃髪(ていはつ)。

更に彼らを御所に招き入れ、泊めたといわれる。

それを知った上皇は激怒、安楽房、住連房ら四人を死罪、法然(ほうねん)上人、親鸞聖人ら七人を流罪に処した。世にいう「承元(じょうげん)(建永)の法難」である。

浄土真宗では長く日常勤行としていたが、次第に親鸞聖人の作られた「正信偈(しょうしんげ)」に替わっていった。

現在、一日六時すべてを勤めることはほとんどないが、ここにその伝統が甦る。

◆和鳴会(わみょうかい):県内の真宗興正派(しんしゅうこうしょうは)僧侶が中心。

儀式音楽である雅楽や声明の習得に努めている。

寺院法要だけでなく福祉施設や小中学校での演奏など幅広く活動している。

◆声讃会(しょうさんかい):真宗興正派西讃地区の僧侶で声明・雅楽を研鑚するために結成。

郡家興正寺別院(丸亀市)の法要や、西讃地区の寺院行事を中心に活動している。

 

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